全然恥ずかしいことじゃない。介護疲れは当たり前。
介護疲れは当たり前なんです。
唐突にすみません。
ですが深刻な問題です。
介護疲れを恥ずかしいと思っているのか、周りに打ち明けられない方多いです。
介護疲れは当たり前です。恥ずかしいことではありません。
今回はそんな介護疲れを感じている方に読んでほしい内容です。
介護による疲労は大きく肉体的な疲労と精神的な疲労に分かれると思います。
肉体的な疲労
肉体的な疲労からお話しします。
介護は単純に重りを持ち上げることとは違います。相手も人であるため、自分が力を入れやすいポジション取りがとても難しいのです。
無理な姿勢で行わなければならないことも多く、肉体的負担はかなりのものです。
介護士でも介護が上手いとはかぎりません。無理な姿勢で介護を続けて、腰を痛める介護士も多いです。
上手な介護とは、相手も自分も負担の少ない介護です。
自分が楽になるために、相手に負担を強いることはもってのほかですが
相手の負担を減らすために自分の身を削ることもベストとは言えません。
介護を上手くなるには、人体の構造、重心と支持基底面の関係、動作に必要な関節の動きや筋活動などを知っておく必要があります。
その上でその人自身の体の特徴を評価し、お互いに負担の少ない介護方法を見つけていくのです。
どうですか?介護ってとても大変なことだと思いませんか?
実は現場の介護士もここまで出来る人は珍しいです。少なくとも私はお会いしたことがありません。
それほど介護は難しい事なのです。
介護方法は人によって異なります。正解は一つではないです。お互いの負担にならない介護であればどんな方法でも構いません。
精神的な疲労
次に精神的な疲労に関してですが、
家族様にとってはこっちの疲労の方が辛いかもしれませんね。
介護を仕事にしている場合は、お金がもらえます。仕事ですから。
しんどいと思うことも仕事だと思えば割り切ることができます。時間がくれば介護から解放されます。
ですが、家族は違います。
どれだけしんどい思いをしてもそれを吐露することもできず、お金なども発生しないため疲れを誤魔化すことはできません。
限られた時間だけ介護をするわけではなく、常に不安が付き纏います。
また、昔の姿を知っているからこそ、求めてしまうこともあると思います。
医療、介護職は「人として」はもちろんですが「病気として」の視点もあるため、
本人様に対して求めすぎることはしません。求めすぎると余計に自分の首を絞めてしまうからです。
どちらが良いとは言えません。仕事柄私たちはある程度の距離感を保つ必要があります。
「病気として」みる割合が高過ぎても業務的な介護になってしまいますし、「人として」見る割合が高すぎると仕事になりません。
そのため、私たちは二つの視点で捉えるようにしています。その時の状況に合わせてどちらの視点を中心に見ていくのかを判断して適切に医療介護を提供します。
またその方法で、自分達の精神も守っているのです。
家族の場合は、「人として」みる割合がどうしても高くなります。
決して悪いことではないですよ?どのような状態になっても人としてその人を見ることはとても大事なことです。
家族にしかできないことです。
そしてそれが介護疲れを引き起こしてしまうのです。
なにも恥じることはありません。
介護疲れは真にその人に尽くしているからです。
ですが、疲れた時には疲れたって言っても良いのです。
本人と笑いながらしんどいことも辛いことも共有すればいいのです。
疲れて当たり前ですよ。
疲れないなんて言われたら私たちの仕事がなくなります。
それくらいの気持ちで介護をしてください。
また、介護を受ける側の方も当たり前に思わず、感謝の言葉を言うようにしてください。
今の世の中、お金でなんでも解決できます。
わざわざ家で介護をすることは当たり前ではありません。
してもらっていることに感謝の気持ちを述べるとそれだけで気持ちよい関係を築くことができます。
介護は疲れて当たり前。この言葉を頭に残しておいてください。
介護疲れを見て見ぬふりをし続けると、いつか壊れてしまいます。
そんな結末は介護する側、される側にとってマイナスでしかありません。
良いことも悪いことも共有できれば心が楽になりますよ。
介護が楽にしてくれる素敵なサポート用品なども紹介していくのでよろしければそちらも読んでみて下さい。

では、今回はこの辺で。